DIARY
松林図屏風
東京国立博物館にて、敬愛する長谷川等伯の「松林図屏風」を拝見して参りました。
同じ時代に名を馳せた狩野派の最大のライバルとも言われ、雪舟五代を自称していた等伯は、能登の七尾で生まれ、職を求めて上洛し、時の権力者であった豊臣秀吉や千利休との交流などを通じて、日本絵画史にその名を深く刻みつけました。
遠目から六曲一双の屏風を眺めると、鈍色の空と、茫洋たる防砂松林が延々と続く能登の日本海沿岸を想起させられます。
生まれ故郷の原風景を想って描いたのでしょうか。あるいは、愛息久蔵を失った哀しみをたたえているのでしょうか。
離れて見ると柔らかく、繊細な筆致に見えますが、ひとたび近づいてみると荒々しさと共に、緻密な計算も見受けられます。
それでいてやはり、心に静けさがもたらされるのです。
こちらの作品を巡っては諸説あり、下絵なのではないかという考えもあるそうですが、東京国立博物館の学芸員でいらっしゃる松嶋雅人さん曰く「それにしては、当時絵の具よりも貴重だった良質な墨を惜しむことなく使っているんですね。ほらあんなに艶のあるいい墨を使っている。私は本画だったと思っています」とのこと。
更には、印は等伯の伯という字を誤っており、画は確かに等伯によるものだけれど、印については、等伯の工房に近い人間が後から押したものだというのが有力な説として伝わっているそうです。
この作品が本画であっても、下絵であっても、等伯によるものであっても、そうでなくとも、一向にかまいません。
日本画の極みとも言える、墨の濃淡のみで、これほどまでに控えめでありながら、圧倒的な印象を残すこの作品が大好きです。
「松林図屏風」の公開は1月17日まで。