DIARY
ハル〜総合商社の女〜
新たな連続ドラマ「ハル〜総合商社の女〜」が今夜から始まります。
以前「恋愛偏差値」というドラマでお世話になったプロデューサーの栗原美和子さんがご自身の体験をもとに企画なさったオリジナルドラマで、総合商社を舞台に私の演じるシングルマザーでニューヨーク帰りの主人公海原晴が危ない橋を堂々と渡りながら、立身出世のために事なかれ主義、日和見主義に陥り、常に上層部におもねるばかりで革新的なことを恐れていた人々を巻き込んで行く物語です。
ヘッドハンティングによって日本に呼び寄せられたハルが着任したのは、精鋭部隊が集められた「経営企画部」です。それは、ジャンルを超えてあらゆる案件に介入し、不採算部門を立て直したり、事業縮小計画を実行したり、新たな事業計画を提案したり、実現したりする部署でして、なんとそこでは藤木直人さん演じる元夫の和田が部長として指揮を執っており、ハルは部長補佐として和田の直属の部下となったのでした。元夫ということは寺田心くん演じる息子涼の父親でもあるわけで、職場において仕事とプライベートを使い分けながらのコミュニケーションも見所となっております。
停滞した空気を打ち破り、根回しすらなしに本音で勝負するハルに心動かされ、くすぶっていた情熱を取り戻して行く部下青柳を演じるのは白洲迅さんで、社長と対立する立場にあり、社内に蔓延する事なかれ主義を牽引している副社長兼、経営企画部本部長を奥田瑛二さんが演じて下さっています。
経営企画部のレギュラー陣の方々、そして、毎回新たな案件に携わる度にご出演くださるゲストの方々も皆さん魅力的で、初回は田口浩正さんと田中要次さんが業績不振となったラーメンチェーンの復活を目指して奮闘してくださっています。
無理難題にこそやりがいを感じ、愚痴を漏らす暇があったら目の前の課題をどんどんこなしていくハルの台詞は、演じている私の心も前向きにさせてくれます。
今でもチャレンジングなことは大好きですが、もっともっと怖いもの知らずで、失うことを恐れなかった若かりし頃を思い出して懐かしい気持ちになったりもしております。
もちろん、ハルのように男性にも目上の人間にも堂々と正論を述べ、暗黙の了解で成り立っていることにもわざわざ波風を立ててなお前に進むことができるのは、ごく一握りの優秀な人々か、向こう見ずの大馬鹿者くらいで、多くの方々は本音と建て前を上手に使い分け、家族を守るため、あるいは自らの日常をつつがなく営むために、本心を押し殺して会社に従属し、日々を生きることに精一杯なのではないでしょうか。あるいは、仕事の時間を減らし、物質的豊かさよりも自由と心の充足を求める方もいらっしゃるでしょう。そうした方々を決して置き去りにせず、会社の歯車として働かざるを得ない方々にも温かい眼差しを向けていることが、この作品の素敵なところです。
「ハル〜総合商社の女〜」は、明日10月21日より、毎週月曜日よる10:00TV東京にて放送です。
ぜひご覧いただけましたら、嬉しいです。
お見舞い
先の台風19号にて被災なさった方々に謹んでお見舞い申し上げます。
痛ましい大惨事が起こる度に気候変動への危機感を募らせておりますが、
この度の災害により苦難の時を過ごしている皆様が一日も早く平穏な日常を取り戻すことができますよう、心よりお祈りいたしております。
ハダカラ
保湿成分が洗い流されない画期的なボディーソープ「hadakara」の新たなCMが始まります。
洗うという行為によって、皮膚の油分や水分が奪われ、カサカサになったお肌はかゆみを伴うこともあるかと思われますが、hadakaraはそのような心配を拭い去ってくれる心強い味方です。
この度のCMでは、前回と同様に、芦田愛菜さん演じる生徒と教師との密かな心の交流が描かれ、私が演じます教師が人知れず使用しているボディーソープについてそっと語り合うのです。
レギュラータイプに加えて、泡で出てくるタイプや、さらさらタイプなど、テクスチャーや香りも様々に、時間にゆとりのない方でもバスタイムを充実させていただくべく、創意工夫がなされています。
かく言う私もボディーケアに時間をかけるようなゆとりはなく、このところは毎朝5時に飛び起きて、慌ただしくシャワーを浴びてドラマの撮影に出かける日々を送っており、帰宅後の入浴はリラックスタイムというよりは、台本を読む時間も兼ねておりまして、洗うだけでボディーケアを同時にできるhadakaraが手放せません。
新たにシトラスカシスの香りも仲間入りしたライオンのhadakaraを、毎日のバスタイムのお供にしていただけましたら幸いです。
あの家に暮らす四人の女
三浦しをんさん原作のスペシャルドラマ「あの家に暮らす四人の女」にて、古い洋館を舞台に母鶴代と友人の雪乃、そして雪乃の同僚の多恵美と風変わりな同居を続ける主人公の刺繍作家、牧田佐知を演じました。
かつてドラマ「模倣犯」でもお世話になったプロデューサーの中川順平さん、黒澤淳さん、雫石瑞穂さんよりお声がけ頂き、深川栄洋監督の描くおとぎ話のようにノスタルジックでありながら、滑稽でリアルな人間模様が垣間見える世界の住人として、一針入魂の日々を送りました。
そもそもマフラーですら10㎝以上編めたことがないほど移り気な質でして、手先は比較的器用な方だ自負しておりますが、お裁縫や手芸の類いは苦手と申しますか、コツコツと地道に手仕事をするというこらえ性が全く備わっておりません。だからこそ、染織家や器の作家、そして刺繍作家など、美しいものをこの世に送り出すために手を動かし、時間を費やす方々を尊敬して止まないのです。
この度も、京都にお住まいの刺繍作家蓬莱和歌子さんの手ほどきを受け、一針一針垂直に刺すという作業を練習したのですが、想い描く完成図に仕上がるまでのもどかしさに身もだえしておりました。
蓬莱和歌子さんの刺繍の美しさはその構図やステッチの美しさは言うまでもなく、刺繍を施す布や糸の色の選択が秀逸で、大人の女性に相応しいスモーキーで柔らかな色調が特徴です。
さて、肝心のドラマですが、この度も素晴らしい共演者に恵まれました。
武蔵野のお嬢様とも言える世間知らずで身勝手な母鶴代を稀代のコメディエンヌ宮本信子さんが軽妙かつ繊細に演じて下さり、恋や愛などという幻想を捨て去り、ひたすら会社と洋館との往復に励み、ヨガに心の安寧を見出す友人雪乃を永作博美さんがクールに、そしてコミカルに演じて下さいました。そして、雪乃の同僚でストーカー化したダメ男から逃れるために転がり込んできた多恵美をチャーミングに演じて下さったのは吉岡里帆さんでした。
主人公の佐知が産まれる前から同じ敷地内の離れに暮らしている昔気質の作男を、舞踏で世界中を魅了する田中泯さんが無骨に演じて下さり、恋もおしゃれも放棄して刺繍の締め切りに追われる佐知が想いを寄せる内装工事の職人役を要潤さんが真っ直ぐに演じて下さいました。
撮影中にも皆さんのお芝居がそれぞれ素晴らしく、小気味よい台詞とリアクションに観客になったような気持ちで見入っておりましたが、深川監督の編集を介した完成作品を観ると、想像以上に愉快でバカバカしく、それでいて心温まる物語となっており、自分が出演しているにもかかわらず心底楽しめました。
原作では「恋というのは、理解ではなく勝手な思い込みのことですよ。愛というのは、思い込みが打ち砕かれたあと、理解し合えぬ相手とそれでも関係を持続する根性と諦めのことですよ」という雪乃の台詞が印象的でしたが、それでも佐知は「私はやっぱり、理解しあいたい。男のひとにかぎったことじゃないけれど」と夢を抱いています。
「夜が長いからこそ、光を、理解を、愛を、飽かずもとめることができるのかもしれない。だとしたら、ひとはさびしく愛おしい魂を抱えた生き物だ」とも、続く地の文にて述べられています。
先進国の多くでは家父長制などという古い形は忘れ去られつつあり、家族の形が多様性を帯びていることは誰もが知るところかと思います。
4人の女たち+老人の奇妙な共同生活も、ある意味では家族のようなものだと言えるでしょう。
いずれも何かが欠けたおかしな面々が集う大人のためのファンタジー「あの家に暮らす4人の女」を秋の夜長のお供にしていただけましたら幸いです。
ドラマスペシャル「あの家に暮らす四人の女」は、9月30日月曜日夜9:00テレビ東京にて放送です。
初秋
この2ヶ月間、ザルツブルクにて自然に親しみ、音楽に耳を傾ける日々でした。
ご存知かもしれませんが、この界隈は湖水地方と言われておりまして、アルプスの山々に囲まれたこの地には底まで透けて見えるほど美しい湖がいくつも点在しています。風のない朝には、一寸法師のようにサップボードに乗って湖面をスイスイと進んでみたり、雨上がりには山歩きをする道すがら苔やシダを眺めてみたり、曇りの日には草むしりに励み、快晴の午後には日陰にて来たるドラマの撮影のための台本を読んだり、このところ最も頭を抱えているドイツ語の勉強に勤しんだり………。
挑戦しつづける人生でありたいと、40歳を越えて自動車免許を取得したり、こちらオーストリアでの暮らしを始めたものの、この年齢で新たな言語を学ぶことは、やはりそう簡単には参りませんで、四苦八苦しております。
「こんな複雑な文法をドイツ語に組み込んだ首謀者はどなた様?」と恨み節を言いたくなるほど難しく、脳味噌がオーバーヒートしそうになっては、テキストを見て見ぬふりをして数日間過ごしたりしているのです。
絶妙な塩梅のイクラや、オーガニックの海老を取り扱うお魚屋さんに、熟成肉を扱うお肉屋さん、希少なシュタインピルツというキノコがお目見えする市場、羊のフレッシュチーズを販売する牧場、古代小麦エンマーやスペルトを扱う製粉所など、安全で美味しい食材を求めての買い物は、ザルツブルクの端から端までドライブする必要があり、これにオーガニックのココナツヨーグルトや豆乳などの買い出しを加えると一日がかりの仕事になりますが、朝のフルーツも、お昼の軽食も、午後のお茶も、夕食も、屋外で山の澄んだ空気と共にいただくと買い物の煩雑さなど忘れてしまいます。
日々の暮らしを営むだけで、瞬く間に時間は過ぎて行きますが、その一方で旧市街地の祝祭大劇場にて行われている世界最高峰とも言われる音楽と演劇の祭典「ザルツブルク音楽祭」も欠かせません。
ダニエル・バレンボイムの指揮によるマーラーの「交響曲5番」や、大好きなソプラノ歌手アスミック・グレゴリアンの歌うショスタコーヴィチの「交響曲14番」など、ウィーンフィルの滑らかな調べに耳を澄ませたかと思えば、本日は主席指揮者にキリル・ペトレンコを迎えた新体制のベルリンフィルと異色のヴァイオリニスト、パトリシア・コパチンスカヤによるシェーンベルクの「ヴァイオリン協奏曲」に、チャイコフスキーの「交響曲5番」のリハーサルをこっそり拝聴して参りました。
言わずと知れたマーラーの5番やチャイコフスキーの5番は美しく耳障りの良い音楽ですが、ショスタコーヴィチの14番とシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲は少々難解でした。
しかし、調性を排した難しい音楽も、演奏者が音楽に没入し、身体に染みこんだ音とリズムを自らの言葉を語るかのように放ってくれると、聴いているこちら側まで、まるでその難解な音楽を理解したような気になれるほど楽しめるものなのですね。
私は音楽家ではないので、詳細はよくわかりませんが、まさにアスミック・グレゴリアンとパトリシア・コパチンスカヤには、近現代の音楽を理解する卓越した感性と、それを表現するだけの技術が備わっており、音楽の語る情景が見えていたらこそ、こちらにもその情景が自ずと伝わって来たのでしょう。
もちろんソリストを陰に日向に支えるオーケストラの演奏もそれぞれ素晴らしいものでした。
演じる際にも情景を伝えられる人間でありたいと、改めて心に誓った次第です。
間もなく始まるドラマ「ハル〜総合商社の女」の撮影に向けて、こうして心に栄養を注ぐ日々を終え、そろそろ日本へ帰る予定です。
初秋とは言え、まだまだ耐え難き暑さが続くこの頃にて、皆様どうぞお身体に障りませんように。
フランス映画祭横浜2019
フランス映画祭横浜2019が昨夜開幕となりました。
この度、フェスティバルミューズというお役目を仰せつかりまして、横浜みなとみらいホールにて開催されたオープニングセレモニーにて、フランスからおいでになったミッシェル・オスロー監督や、ニルス・タヴェルニエ監督、ジル・ルルーシュ監督などをお出迎えする幸運に恵まれました。
残念ながら「男と女」や「愛と悲しみのボレロ」、「白い恋人たち」などで世界中にその名を轟かせたクロード・ルルーシュ監督は一日遅れでのご到着とのこと、お目文字は叶いませんでしたが、熱狂的なフランス映画ファンの皆様とご一緒に、憧れのフランス映画に浸る幸せを分かち合うことができました。
まだ迷い多き10代の頃、わけもない苛立ちを静め、溢れる探究心を満たし、言葉にできないもどかしい想いを代弁してくれたのがフランス映画の数々でした。
フランス映画を上映するミニ・シアターが健在で、一日に何館もはしごしては、胸をえぐられるような愛の物語に呆然としたり、官能的な作品にドキドキしたり、社会を風刺する痛烈なユーモアに笑い転げたり、難解で冗長な作品でうたた寝をしたくせに、わかったような顔をして映画館を後にするような青春でした。
フランス映画に憧れるあまり、一時期はレオス・カラックス監督の「ポンヌフの恋人」の舞台ともなったポンヌフ橋の左岸に位置するレンガ造りのアパートにて、Chamble de bonne と言われる住み込みの家政婦さんのための小さな屋根裏部屋を借りて東京との往復を繰り返していたほどです。
シャワーもバスルームも共同のその部屋を借りた当初、冷蔵庫もなかったほどなのですが、卵や日本から持ち込んだ明太子などを窓の外に吊して、天然の冷蔵庫などと言って何もない暮らしを楽しんでいました。
もっとも、共用部の掃除をする度にはばかりもなく汚す住人達に耐えきれず、しばらくしてサン・シュルピス通りのアパートに移ることにはなりましたが。
映画館が密集する6区に住まい、Le champo やGrand Action,L’Arlequin,MK2といった映画館を徒歩で訪れることが、東京で休む間もなく働き、常に燃え尽きていた私の心身を取り戻す大切な時間でした。
この度も、美しいシネマトグラフと、辛口のユーモア、弱者への温かい眼差しに満ちた素晴らしい作品の数々が一挙上映となりますので、ぜひ横浜の街でフランス映画に耽溺する喜びを味わっていただけましたら幸いです。
フランス映画祭横浜2019は6月23日まで。
Mark Rothko
Mark Rothko exhibition at Kunsthistorisches Museum in Vienna
新たな時代の幕開けとともに長いお休みを堪能なさった方々、あるいは変わらずお仕事や勉学に邁進なさった方々、様々いらっしゃることでしょう。
ゴールデンウイークにお休みをいただけることなど、ここ数年はなかったのですが、「Followers」の撮影中にもかかわらず、久々に暦通りの長いお休みをいただくことが叶い、しばしウィーンへ戻っておりました。
ハプスブルク家とモーツアルトをはじめとする名だたる作曲家たちの残した遺産によって未だ観光地としての魅力が絶えない彼の地では、何か特別なことをせずともただ街歩きをしているだけで、時間を有意義に過ごすことができます。
東京の人口約930万人と比較しても、オーストリア全体の人口が約880万人と、いかに小さな国であるか驚かされるのですが、そんな小さな国の首都ウイーンは、音楽に美術、建築、文学、精神医学や心理学(あのフロイトもアドラーもウイーンの出身です)などの文化が豊かに花開いた街でもあります。
この度は、歴史あるコンツェルトハウスにてウィーンフィルの演奏によるマーラーの交響曲8番を聴く機会に恵まれ、合唱団と8名もの独唱者を加えて200名以上(1000人のシンフォニーとの呼び名もあるほど)がステージで共に音楽を奏でる壮大な名曲に心を震わせました。
また、サマータイムにて夜の8時でもまだ明るいこの頃では、夕食後に街歩きをすることも珍しくなく、ホロコーストの生存者のポートレート写真が並べられたリング通りを歩きながら、フランツ・ヨーゼフ1世の命によって19世紀に建立された壮麗な美術史美術館を訪れました。
目的は、他でもなく近代絵画史の中で最も心酔する画家マーク・ロスコの展覧会でした。
面と線だけで2〜3色の色彩をただひたすらに描き続けたマーク・ロスコの作品は、一見したところ感じる静けさのみならず、よくよく眺めてみると、猛々しさをも持ち合わせているように思えてなりません。
確か20歳の頃にパリのポンピドゥセンターだったか、ニューヨークのMOMAだったかで初めて鑑賞して以来、誰かに理解されたくとも理解されない苦悩のようなものが滲み出る彼の作品に触れる度に、息が止まりそうになります。
ロシアからユダヤ人の移民として家族とともにアメリカに渡ったマーク・ロスコヴィッツ改めマーク・ロスコは、若かりし頃こそ、様々な画風を試み、写実主義ではないものの静物画やポートレイトを描き、シュルレアリスムに興味を示しては、ピカソの真似事のようなスタイルにも挑戦しつつも、1930年代から色調やモチーフに一貫性が見受けられました。
年齢を重ねるごとに用いる色の数は少なくなり、モチーフも簡素化され、一点一点が心にずしりと重く響く作品を描くようになります。
晩年はアンディー・ウォーホールやロイ・リキテンシュタインなどのポップアートの台頭によって自身の存在価値を脅かされ、人を信用しなくなり、孤独の果てに自ら命を絶ってしまうのです。
2009年に川村美術館でのロスコ展の折に、最晩年の漆黒の世界を描いたシリーズを拝見して、胸がキリキリと締め付けられたことが今でも忘れられません。今回は最晩年の漆黒の作品はわずかのみでしたが、初期の多様な作品から、いかにして彼がマーク・ロスコらしい作品にたどりついたのか、その変遷を垣間見ることができました。
ことほどさようにウィーンの街歩きは興味が尽きませんが、思えば日本にも、素晴らしい美術館や博物館がたくさんありますね。
次はどちらの美術館を訪れようか、思案中です。
Followers
Art installation on the scaffolding at Schillerplatz in Vienna by Katharina Cibulka
本日より、新たなドラマシリーズの撮影が始まります。
これまで、一視聴者として楽しんでいたNETFLIXのオリジナルドラマで、写真家であり映画監督でもある蜷川実花さんが演出をなさる『Followers』です。
女性の女性による女性のためのドラマとでも申しましょうか。
女性の生き方は、従来通りのお嫁さんになって子供を産んで家庭を守るという形にとどまらず、キャリアを追求する生き方もあり、キャリアと家庭の双方を大切にする生き方もあり、あるいはキャリアにも家庭にも興味が無く、引きこもる女性も存在するでしょうし、同性婚を選択したり、Aセクシャルであったり、さらにその先には、これまでなら人々が眉をひそめ、口にすることがはばかられた理由で男性を求める新たな生き方(詳しくはぜひドラマをご覧下さい)もあることでしょう。
男女問わず、性別、趣味嗜好、生き方、宗教など、多様性が容認される時代になりつつあるというよりも、認めざるを得ない時代になって来たことが、このドラマに携わることで如実に感じられます。
東京という雑多な街に生きる女性達の生態をリアルに、ときに毒を含みつつも軽妙に描いた群像劇にて、主人公の写真家、奈良リミを演じることとなりました。
若かりし頃に掲げた夢を夢想で終わらせるのでなく、我が物とすべく自ら責任を背負って生きる女性のたくましさ、そして、そんな強靱な精神を携えた女性だからこそ抱く将来への一抹の不安、脆さなどを本音満載でお届けします。
本作はフィクションではありますが、奈良リミのモデルは、監督の蜷川実花さんご本人であると言われており、蜷川さんの周囲の方々の実体験を伴った物語が、10話にわたるエピソードのそこかしこにちりばめられておりまして、これより始まる撮影の日々が楽しみでなりません。
追々発表になるかとは思いますが、魅力的な女性キャスト(もちろん男性も)の皆様に恵まれ、心を開いて撮影に臨むことができそうです。
因みに昨年の日経新聞で特集されていた記事には、NETFLIXでは視聴率を発表しておらず、視聴者のデータにおいて、年齢も性別も関係なく、その方のお好みの傾向のみでデータを集計し、アルゴリズムによっておひとりおひとりのお好みの傾向を分析して、おすすめ作品をページトップに表示するシステムなのだと書かれていました。
おかげさまで、私もNETFLIXの戦略にまんまとはまりまして、映画やドラマにとどまらず、ドキュメンタリー作品を次々に視聴している次第です。
『Followers』は2020初頭、世界190カ国同時配信の予定です。
ぜひご期待くださいませ。
寿
あけましておめでとうございます。
早いものでもう2019年ですね。
今年も新たなドラマの撮影を控え、すでに準備が始まっています。
ただいまウィーンにおりまして、大晦日は夕方の6時くらいから、つい今朝ほどまで至る所で打ち上げ花火があがり、
祝賀ムードに沸き立っています。
また、オーストリア国民が熱狂するスキージャンプのレースでは、日本人の小林陵侑さんが大変注目されています。
実は本日、NHKEテレの「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2019」に出演させていただくことになりまして、こちらウィーンの楽友協会より生中継にて現地の熱気をお届けすることになりました。
クリスティアン・ティーレマンさんの指揮のもと、お正月の風物詩であるウィーンフィルによる陽気で快活なワルツやポルカに耳を傾けつつ、皆様とご一緒に新年をお祝いさせていただけたらと思います。
放送は18:45〜22:00までです。
黄金色に輝く音楽の殿堂よりお届けする音楽をぜひお聴きくださいませ。
結婚
突然ですが、このたび結婚の運びとなりましたこと、ご報告させていただきます。
お相手は、ドイツ出身の音楽家ティロ・フェヒナーさんで、
ウィーン国立歌劇場管弦楽団、そしてウィーンフィルハーモニー管弦楽団、
さらには管弦楽アンサンブルPHILHARMONIXにて、ヴァイオリンより少しだけ大きく、
チェロよりはずいぶんと小ぶりなヴィオラという楽器を奏でています。
日本とオーストリア、異なる国で暮らす私たちは、話せば長くなるような不思議な偶然が
重なって、2016年の秋に出逢い、信頼関係を育んで参りました。
共に山歩きをする時などは、常にこちらのペース配分に配慮し、自らの楽しみや利益よりも、人の幸せを優先する彼の人柄に惹かれました。
ヴァイオリンをはじめとする様々な楽器の音に真摯に耳を傾け、
自らの音を主張するのではなく、調和を大切にして来たヴィオラ奏者だからこそ、私のような
自由を愛する人間をも手なずけることができるのでしょう。
これより拠点はオーストリアになりますが、語るべき物語を携えた誰かを演じる日々と、何者でもない自分に戻る日の緩急をつけて、これまで通り大切にお仕事をさせていただきますので、変わらぬご愛顧をいただけましたら大変ありがたく存じます。
また、オーストリアへ送ることのできる荷物には限りがあり、お礼のご挨拶に馳せ参じることも叶いませぬゆえ、お祝いなどのお心遣いは謹んでご遠慮申し上げます。
最後になりますが、皆様のますますのご健勝を心よりお祈りいたしております。