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DIARY

クランクアップ

A charming piece of everyday life

A charming piece of everyday life

昨日をもちまして、スペシャルドラマ「模倣犯」の撮影が終了いたしました。
初版から15年の時を経てなお読者を魅了する宮部みゆきさんの珠玉のミステリーの初ドラマ化です。
梅雨時の撮影にもかかわらず、天候には恵まれ、怪我や事故も皆無で滞りなく事が運びました。

今回私が演じるのは、決して一流とは言えない半人前のルポライターゆえに、功名心から短絡的に事件に首を突っ込んではみたものの、真実を暴き、読者に伝えるというジャーナリズムと、被害者家族に対する憐憫の情の間で揺れ動き、また仕事と家庭の両立に悩む前畑滋子という主人公です。
劇中では杉本哲太さんが滋子の優しい夫を、高畑淳子さんが強引な編集長を、橋爪功さんや清水富美加さんが、家族を殺人事件で奪われた被害者遺族の悲痛な心の叫びを、見事に演じて下さっています。
橋爪さんと清水さんのお芝居に現場で思わず涙したことも一度ではありませんでした。

また、目を覆うような凄まじい連続誘拐殺人事件を追う刑事役を岸部一徳さんが抑制の効いたお芝居で見せて下さり、その事件に深く関わる青年二人を演じるのが満島真之介さんと山本裕典さんです。

柔和な笑顔で身の毛もよだつような殺人を繰り返す犯人はとある俳優さんですが、まさに昨日犯人との最後の対決を終えまして、繕っていた柔和な笑顔が崩壊し、傷ついて歪んだ本質が露わになるのを目の当たりにしました。
そうです、そのような冷酷な犯罪を何のためらいもなく犯すに至った過去は壮絶なものでした。
何人たりとも人を殺めて許されることはありませんが、人の痛みはもとより、自分自身の心の痛みすら感じなくなってしまった犯人の背景には同情するに余りありました。

本作は、様々な人間の視点で史上最悪の劇場型連続誘拐殺人事件を描く作品ゆえ、自分自身が出演していない場面がどのように仕上がっているのか、楽しみでなりません。

極上のスリルと、心温まる物語を同時に味わえる「模倣犯」にぜひご期待くださいませ。

世界遺産で大茶会

Tea ceremony at Itsukushima-jinja Shrine

Tea ceremony at Itsukushima-jinja Shrine

日本が世界に誇る宮島の厳島神社にて、伊藤園主催の「世界遺産で大茶会」が執り行われました。
大茶会といいますと、豊臣秀吉の北野天満宮における北野大茶会がよく知られておりますが、この度は「お〜いお茶」の広告出演者がそれぞれ、中尊寺、東照宮、醍醐寺、厳島神社と別れて、日頃よりご愛飲くださっているお客様をお招きして、お茶を差し上げることとなったのでした。

厳島神社を訪れるのは三度目です。
春に行われるお能の祭典「桃花祭」、そして10月の満月の夜に毎年開催される「観月能」を鑑賞するために瀬戸内海を渡って参りましたが、この度はお客様をお迎えする側ですので、少々立場が異なります。

最近はもっぱら客人としてお抹茶をいただくばかりで、久しく人前で点前をすることがなかったため、心なしか緊張しておりましたが、ご応募くださったお客様は慣れない環境のためもっと緊張なさることでしょうから、あまり堅苦しいことは抜きにして、できる限りおくつろぎいただけるよう、心をこめてお茶を点てつつも「失敗してもいいや」という気持ちでのぞみました。

古の時代より、お茶は養生のための薬でもあり、興奮剤でもあり、鎮静剤でもあったとのこと、お茶が人と人との縁を結び、ひとり喫する際には静かに思索に沈潜させてくれる大切な友であることはこの先も変わらないのでしょう。

お抹茶のほろ苦さを味わっていただいた後に、冷たい氷水出しのお茶を差し上げた際のお客様の笑顔が忘れられません。
お暑い中、遠路はるばるお越し下さいましたこと、改めて感謝申し上げます。

In practice simplicity has never been a problem

Ryan Gander exhibition at Taro Nasu in Kanda

Ryan Gander exhibition at Taro Nasu in Kanda

毎日耐え難き暑さが続いておりますが、お変わりございませんか?

先日、わずかな自由時間を見つけて、イギリスの現代アーティストであるライアン・ガンダーの展覧会を鑑賞して参りました。
プレイモービルの人形を500体、真っ白な空間に並べただけの展示で、幼稚園児でも真似できそうな展覧会ですが、よくよく観察してみると、肌の色も職業も様々なフィギュアたちのパーツが、全て入れ替わっており、ヒゲをはやしたおじさんの下半身が人魚の尻尾になっていたり、女性が戦士の格好をしていたり、スーツ姿のビジネスマンが兜をかぶっていたり……。
頭部、上半身、左右の腕、下半身と、いずれのパーツもバラバラに組み合わせることによって、鑑賞者に違和感や疑問を抱かせます。
我々が勝手にカテゴライズしていたものが、実は何の意味もなさないのではないかと、人間を色眼鏡で見ることの狭量さを突きつけられているような感覚をおぼえました。

幼少期より車いすでの生活を余儀なくされているライアン氏は、ロンドンでの個展の際に、車いすの転倒により負傷してしまったそうで、残念ながら来日が叶わなかったため、作者の真意まではわかりかねますが、人間の多様性を受け入れざるを得ないような、それでいて、全ての人間は同じなのだとプラスチックの人形たちに改めて教えられたような気がします。

未だ芸術の何たるかなど、私にはわかりません。
現代アートの多様性について行けないこともありますし、どんなに世界的な評価を得ていても好きになれないアーティストもいます。
かつてパリのポンピドゥー・センターにて鑑賞した、ミルクの噴水は、文字通り、白い大理石の噴水口から牛乳が噴出しているだけの作品でしたが、その牛乳は循環式でして、会期中ずっと同じ牛乳が循環しているものですから、日毎に褐色をおび、発酵臭を放ち始めるわけです。
私が訪れた時にはすでにかなり発酵が進んでおり、他の若き作家たちの作品も展示するその部屋は、顔をしかめたくなるような異臭に包まれておりました。
また、イタリアのどこかの街で、窓の外から、チーズと生ハムを部屋の中に投げ入れ、それがアートだと主張する作家がいたり、人体の解剖過程をアートだとして、衆目のなか披露した輩もいたようです。
しかし、誰がなんと言おうと作家がそれをアートだと世に示すなら、それはアートなのでしょう。

センセーショナルな作品で注目を得ようとする作家にはあまり関心がありませんが、心に静かに訴えてくる作品に強く惹かれます。

ライアン・ガンダーの展覧会は7月30日まで。

市井の人々

Yamaajisai arranged by Taizando exhibited at Junrian in Ginza

Yamaajisai arranged by Taizando exhibited at Junrian in Ginza

テレビ東京にて放送予定のスペシャルドラマ「模倣犯」の撮影に勤しむ日々です。

宮部みゆきさんが書かれた原作では、連続誘拐殺人の加害者とそれに巻き込まれた被害者たちの心理が容赦なく描かれ、事件解明までのスリルを味わえると同時に、人間の浅ましさ、醜さ、虚しさを痛感させられます。
目を覆いたくなるような凄惨な殺人事件が次々に繰り広げられますが、その一方で、犯罪で家族を奪われた者たちが必死で日常を紡ごうとする姿に胸を打たれるのです。

今回私が演じるのは、主人公のルポライター前畑滋子です。
婚家の町工場に暮らしつつ、決して一流とは言えないものの、なんとか細々と記事を書いてきたライターが、かつて取材した失踪女性の遺体が発見されたことをきっかけに、一念発起して事件の真相に迫るのですが、狡猾な愉快犯を追い、被害者遺族と接するうちに、「果たしてこのまま書き続けるべきなのか」、あるいは「自分にしか書けない視点があるのではないか」と心が揺れ動きます。

松田秀知監督の指揮のもと作られたセットには、ドラマでは詳述されないものの、かつて伝統工芸の職人なども取材してきたことから、ものづくりに人生を傾ける町工場の次男坊に惹かれて嫁いだという原作の人物像を反映すべく、様々な工夫がこらされています。
居間のテレビ台には古い仙台箪笥を、食卓には丸いちゃぶ台を配し、執筆部屋にも古い文机や寺子屋机、ガラスの金魚鉢などをしつらえることで、決して裕福ではないけれど、ぬくもりのある家庭が演出されています。
実は我が家でも、19歳の頃に世田谷区の「アンティーク山本商店」にて購入させていただいた文机を今でもソファーの前のローテブールとして用いており、また20歳の折に求めた車箪笥も後生大事にしております。

ドラマでは、ある俳優さんが滋子の夫を演じて下さっていますが、自らも家業に専念する傍らで、妻の仕事にも理解を示し、執筆で昼夜逆転になりつつある妻に代わって朝食を作り、事件が佳境になると洗濯物までたたんでくれる理想の夫です。
実際には、日本においてはそのようなできたご主人はまだまだ少ないことと思われますし、あるシーンで主人公が執筆をしている傍らで黙々と洗濯物をたたむ俳優さんの後ろ姿を見ていて少々切なくなったりするのは、やはり私自身の中にも「男性はかくあるべき」とか「女性はかくあるべき」などといった固定観念があるからなのでしょう。

一億総括役時代と言われましても、女性がますます苦しくなるような、そんな気がしてなりません。
家事を気軽にアウトソーシングできる制度が整い、子供や老いた親を安心して預けられる場所が潤沢にあれば多少は異なるのでしょうけれど、まだまだ追いついていないのが現状です。
10数年前にして、一部の優秀な女性ではなく、市井の女性が仕事と家庭との両立に悩み、もがく姿を描かれた宮部みゆきさんの先見性にひれ伏したくなります。

長雨の季節もあとわずかで終わりを告げ、いよいよ本格的な夏の到来です。
緻密に描かれた壮大なスケールの物語を心ある素晴らしい共演者の方々とともに作りあげて行きますので、どうぞご期待くださいませ。

伊豆高原

Visiting the atelier of Taizo Kuroda

Visiting Taizo Kuroda’s studio

先週の金曜日で「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」の放送が全て終了いたしました。
最後までご覧下さった皆様のあたたかいお気持ちがなんとありがたかったことでしょう。
心より感謝いたしております。

昨日のことになりますが、眼下に海を望む伊豆高原に、究極の白い器をつくり続けていらした黒田泰蔵さんのアトリエ兼ご自宅を訪ねてみました。
いつの時代のものなのか、古い日本建築の礎石を解体業者から譲り受け、黒田泰蔵さん自らユンボにて積み上げたという石造りの門をくぐり抜けると、青々と茂る芝生に、自然のまま残された木々、そして、睡蓮鉢として据えられた古い石や、インドの調理用の釜が点在し、繊細かつおおらかで、懐かしいのにどこか新しいお庭の先に群青色の海が果てしなく広がっています。

長年暮らしていらしたご自宅のすぐ近くに新たに建てられたばかりの白い応接間は、タイやベトナム、インドネシアなどからの古い木製の建て具や家具によって温もりが加えられ、泰蔵さんご自身の器にさり気なく生けられた泰山木の花が優しく迎え入れてくれました。
ものづくりに生涯を捧げていらした方にとって、ご自宅の普請や作庭なども造形と同様で、空間をデザインすることは、そこに配する器との兼ね合いを図る意味でも重要かつ没頭できる楽しみのようです。

食卓にはご自作の白い器たちが並び、ホワイトアスパラガスのサラダに始まって、伊豆牛をさっとグリルしたもの、揚げたてのきびなごのフリットにブルーチーズなどの美味しさが、シルヴィー・ギエムやエリック・クラプトンをはじめとする世界中の人々から注目される作家さんとの初対面の緊張を解いてくれました。

1960年代に、その当時では珍しくパリやカナダのモントリオールに滞在し、焼きものに携わっていらしたからか、共に食卓を囲んだ奥様やお嬢様、私の友人に率先してお料理を取り分け、ワインを注いでくださる黒田泰蔵さんにそこはかとない色気を感じました。

また、パティシエであるお嬢さまが糖質を控えている私を気遣って作って下さったチャイのプリンの何と美味しかったこと。
スパイスの効いたそれは、羅漢果の甘みと共に、幸せを運んできてくれました。

今でこそ、黒田泰蔵さんの作品を模したであろう工業製品もたくさん出回り、コレクターはもちろんのこと、焼きものを志す方々にとって憧れの存在であることは間違いないのですが、45歳で白磁のみに絞ったものづくりを始めるまでは、様々な技法を試行錯誤なさったとおっしゃいます。

何しろ黒田泰蔵さんにとって焼きもののルーツである民芸の濱田庄司さんや島岡達三さんからは「白磁は流行らないぞ、白磁で食っていくのは大変だぞ、苦労するぞ」と散々忠告されたというのです。
それでも、どこかで本当に好きな物をつくりたいというお気持ちがくすぶっっており、40代にして一大決心をしたのだそうで、究極の白にたどり着いた際には「君はもう白以外につくらないだろう」とあれほど反対していらした島岡達三さんに言わしめたのです。

普通に会社勤めをなさっていたら、45歳で安定志向に傾くであろうところ、黒田泰蔵さんは究極の白を追求するという挑戦に打って出られたのですね。
そして、その挑戦は大病を患われた今も変わらず続いているのでしょう。

45歳まであと5年、私も挑戦できる人間でありたいものです。

最終話

Boat cruise at Ayutthaya in Thailand

Boat cruise at Ayutthaya in Thailand

実は、この2週間ほどタイに出かけておりました。
連続ドラマに舞台と、息つく間もなく働いていたため、誰に気を遣うこともなく自由な時間を過ごし、酷使し続けてきた身体を労って参りました。

夜を徹しての撮影や、同時進行で数々の仕事をこなすような無理をしても平気でいられたのは過去のことで、日々口にする物に気を配り、サプリメントで栄養を補い、隙あらば眠り、人様の手を拝借してでも身体をゆるめなければ、過酷な労働などできない年齢になったのです。
芸術家の端くれとして頭脳労働者を気取りたいのは山々ですが、傍目には華やかに見えるかもしれない私共の仕事も、実際には地味で過酷な肉体労働です。

タイでは、2日間だけ完全にフレッシュな野菜とフルーツのジュースのみという軽い断食をして、疲れた内臓をようやく休めることができました。
糖質や炭水化物を控えており、白米は玄米に、おうどんやそうめんは控えてお蕎麦にという生活をして久しいのですが、最近は玄米すらも重く感じられるため、南米のスーパーフード、キヌアをお米がわりに食しています。
旅先でも舌とお腹がグリーンカレーやガパオライスを欲したら、少々わがままを言って、ホテルの方にキヌアを炊いていただいていました。
タイを訪れる海外からのお客様のなかには、グルテンフリーの方や、糖質制限の方も多いようで、折衝なしにすんなりと受け入れていただけたことが、なんとありがたかったことでしょう。
そう言えば、あちらのレストランでは、お砂糖ではなく、GI値の低いパームシュガーを使用するお店も多く、血糖値の乱高下がなかったために身体が楽でした。
そうそう、数年ぶりに、アイスクリームも口にしました。ココナツミルクとパームシュガーのみで作られたシンプルで濃厚なそれは、口のなかで優しく溶けてゆきました。

滞在中は、信頼のおけるノンさんという理学療法士でもある女性が「チ・ネイサン」というお腹のマッサージを施してくださっており、あちらを訪れる度に疲れた身を彼女にゆだねています。
そして、ノンさんのご主人スラチャイさんも優秀なピラティスのトレーナーさんとして、訳あって真っ直ぐな軸を作りづらい私の身体がなんとか機能的に動けるようサポートしてくださっています。

この数年は、筋膜をゆるめることを大切にしてきました。
過去の事故や心の傷などの記憶を留めるという筋膜の癒着がはがれると随分と楽になるような気がするのです。
そのためにロルフィングという手技を受けてみたり、理学療法士さんの施術を受けてみたり、ボールやフォームローラーを用いてセルフマッサージをしてみたりと様々試みて参りましたが、この度スラチャイさんより新たな器具トリガーポイントクワッドローラーとマッサージボールをご紹介いただき、そのあまりの痛気持ちよさについつい即決で購入してしまいました。
いずれも、テニスボールと、ゴルフボールなどで代用できるはずなのですが、より効果が高いと言われるとつい…..。
実際、毎日これらのローラーとマッサージボールに身体を預けてゴロゴロと転がしてみると、思もよらぬ部位に痛みが走り、身体が全てつながっていることを実感させられます。

全身がゆるんで、横たえた身体が大地に吸い付くようにベッドに沈むとき、一番の幸せを感じます。
そして、美味しい食事と十分な睡眠時間、さらには美しい自然があればそれだけで何もいらないとさえ思えます。
果たして結婚をしなければひとは幸せになれないものなのでしょうか?

今夜22:00より放送の10話を持ちまして「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」は最終回となります。
結婚相手を求めて右往左往していた主人公みやびの心がどこへ向かっていくのか、どうぞ最後まで見届けてやっていただけますようお願い申し上げます。

我が心行方知れず

Borobudur Temple Compounds in Indonesia

Borobudur Temple Compounds in Indonesia

皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

私は久々にゆっくりと過ぎていく時間を楽しんでおります。
長い間できなかった読書や映画鑑賞にいそしむつもりでしたが、毎朝ゆっくりと時間をかけてストレッチやピラティスなどに励むと、昼食後にはまぶたが重くなり、惰眠をむさぼるばかりで、本のページは一向に進みません。
映画も同様で、オープニングはおぼろげな記憶があるものの、いつの間にか舟をこぎはじめ、気づけばエンドロールということもしばしばです。
ドラマの撮影からも、舞台の本番からも解放されて、怠惰の限りをつくしておりますが、どうぞお許しを。

さて、ドラマ「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」第9話が本日22:00より放送となります。

8話にて、年甲斐もなくのめり込みつつあったフェアリー諒太郎に突然の別れを告げられ、40歳を目前に控えてなお、人生を共に歩むパートナーがいないという厳しい現実と向き合わされることになったみやびは、なすすべもなく、ただ仕事に邁進するしかないのかと思いきや、諒太郎との逢瀬の間、少々おざなりになっていた本命の同級生より「結婚する気はないけど、付き合ってほしい」などと、思いがけぬ告白をされることとなりました。

この何とも手放しでは喜べない微妙な告白に先駆けて、数日前に桜井より不意打ちの接吻を受けたのですが、不安定になりつつあったフェアリー諒太郎との関係を修復することに心血を注いでいたみやびは、本命であった桜井のメールに返信し忘れていたのです。しかし、それにより、はからずも十倉の提唱する恋愛テクニック「AKKKNM理論」を実践していたのでした。
「AKKKNM」とは「あれ?これ、もしかして結果的に駆け引きになっちゃってます?」の略で、意中の人への電話もメールもあえて控えることで、恋愛の駆け引きを有利に進めることができるとのことで、なんの策略もなく実践していたみやびの元へ、桜井が近づいて来たのでした。
とは言え、「結婚する気はないけど」の条件つきです。
そして、みやびをなんとか結婚させようと、夏木マリさん演じるみやびの母も十倉の指南に従って、エージェントに徹するべく桜井の前で演技をして見せたり、田中美佐子さん演じる桜井の強烈な姉も加わったりで、てんやわんやの大騒ぎとなるのです。

最終話まで残すところわずか2話の放送です。
果たして動き始めた山とみやびの関係はどこまで発展するのでしょうか、ご自身の体験と照らし合わせてご笑覧いただけましたら大変嬉しく存じます。

海か山か

A beach at low tide in Goa of India

A beach at low tide in Goa of India

本日10時より、「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」第8話が放送となります。

前回の放送では、かねてより憧れだった高校時代の同級生を射止めるべく、藤木直人さん演じる恋愛アドバイザーの指南に従って瀬戸康史さん演じる一回り以上年下の彼氏ならぬ仮氏を作ってみると、思いのほか心地よく、無理して本命と結ばれるよりは、このままフェアリー男子との甘く楽な関係を深めて行くことに気持ちが傾きはじめました。

しかしその一方で、どうしても越えられない年齢の壁も感じざるを得ません。
相手に合わせようと同じ目線で世の中を眺め、若者たちに交じって共に楽しもうと必死に励むのですが、世代間のギャップはなかなか埋められません。
将来の展望もなく、「結婚したい」などと、みやびの立場への配慮なしに言ってしまうフェアリー男子の無責任な振る舞いに失望しつつあった頃、徳井義実さん演じる本命から不意打ちの接吻を受けたのです。

40歳まであとわずか、手が届きそうにない好きな人を待ち続けるのか、それとも結婚できる手軽な人を選ぶのかという選択から、心が奪われてしまったフェアリー男子とともに大海原へ漕ぎ出すのか、あるいは頂上が見えてきたエベレスト男子制覇を目指すのか、焦る女心が更に窮地に立たされる第8話を、どうぞご覧下さいませ。

大千穐楽

Kokuraori, a signature textile of Kokura woven by Noriko Tsuiki

Kokuraori, a signature textile of Kokura woven by Noriko Tsuiki

5月28日の北九州における公演を持ちまして、「猟銃」の全ての公演が終了いたしました。

5年前の2011年、初舞台にしてひとり三役、そして共演者は無言のほぼひとり芝居、かつ舞台袖に一度も退くことなく、場面転換も、着替えも全て舞台上にて行われ、着物の着付けをしながら台詞を述べるという無謀なことに挑めたのは、舞台の恐ろしさなど何も知らなかったからなのでした。

その恐ろしさに気付いてしまった今、再びこの作品を持って舞台に上がることの何と苦しかったことでしょう。
日毎に身体が鋭利な刃物で削られてゆくような、そんな感覚が絶えずつきまとっていました。
毎公演、生の声をお届けする緊張感との闘いであったのと同時に、繰り返されることによる倦怠感との闘いでもありました。
舞台上で呼吸ができなくなるのではないかと思えた瞬間が何度もありましたし、頭から血の気が引いていくようなめまいを感じたこともありました。

あまりの消耗に途方に暮れ、服役囚の方が健康的で人間らしい生活を営んでいるのではないかと思ったほどで、その点については共演者のロドリーグ・プロトーさんも共感してくださり、「僕らは演劇界という黄金の牢屋につながれているんだ」と自嘲気味におっしゃっていました。
「夢は、こんな苦行とは早々におさらばして料理人になること」とも、うそぶいていましたが、ロドリーグさんが演じることを辞める気配は全くなく、全ての公演を終えて「次は、カサブランカか、リオか、ホーチミンか、世界のどこかでまた逢うだろう!」と言って去って行きました。

生身の不完全な人間が演じる舞台では、呼吸のタイミングや歩く歩幅など、毎日わずかな変化がありました。
お客様と自らの演技の一期一会に、感謝をこめて、ただひたすらに演じた日々でした。

そして、改めて呼吸の大切さ、深く息を吐き出し、そして思う存分吸い込むことができることが、どれほど尊く、ありがたいことか思い知らされました。

これまで支えてくださったスタッフの皆様、そして、劇場へお越し下さった皆様に、深く感謝申し上げます。

Merde!

Kuroyuri on the verge of blossoming

Kuroyuri on the verge of blossoming

「猟銃」の兵庫公演においでくださった皆様、誠にありがとうございました。
作品の舞台ともなった兵庫にて演じさせていただいたことは感慨もひとしおでした。

毎回、開演直前に、舞台袖の暗がりの中で共演のロドリーグ・プロトーさんと抱擁を交わし「Merde!メルド!」とお互いに声をかけあいます。
フランス語の「Merde」とは、直訳すると「糞」という意味でして、フランス語圏の方々は何か気に入らないことがあると、「Merde!」と憤慨を込めて言い放つのです。

その一方で、舞台に上がる役者に向けて幸運を祈る言葉も同様に「Merde!」だそうで、2011年の初演の折に、モントリオールの劇場の楽屋に届けられたメッセージカードには、もれなく「Merde!」の文字がありました。

何やらかつて鉄道や自動車が普及する以前、劇場へ向かう手段は馬車だったため、道に馬の糞がたくさん落ちていることが盛況の証しだったとのこと、いつしかこのお下品極まりなき言葉が、人の人生を演じて禄を食む役者たちにとってゲン担ぎの言葉となったのだそうです。

ある時「日本語で何て言うの?」とロドリーグさんに問われたので、わかりやすく「うんこ」とお伝えし、時おり日本語で、「うんこ!うんこ!うんこ!」と私たちが抱擁しながら声がけし合うものですから、小学生レベルの会話だと、スタッフに嘲笑されたりもしています。

「Merde!」で思い出しましたが、かつてパリにて多くの時間を費やしていた際に、度々犬の糞を踏みました。
「花の都パリ」などと、洒落たことを言い始めたのはどなたでしょうか?私には花の都よりも「糞の都」の印象の方が強いです。
他人のことなどお構いなしのパリジェンヌ、パリジャンたちは、自らのペットが世界中から羨望の眼差しを向けられる美しい街で排泄をしようとも、それを片付けようなどという気はさらさらなく、10歩ほど歩けば犬の糞に出くわすほど、それはいたるところに散見されます。

日本には、「転べば糞の上」ということわざがありますが、文字通り、サン=ジェルマン界隈の石畳の小路を思索に耽りながら心地よく歩いていたところ、バナナの皮を踏んだ時のあの感触、ヌルッとしたイヤな感じを革の靴底に覚えたが最後、身体は一瞬宙を舞い、冷たい石畳みの上に投げ出されただけではなく、激しい痛みを伴って着地したお尻は、まだ生あたたかいお犬様の糞の上ということが度々ありました。
そのような時、思わず口から出てしまう言葉もやはり「Merde!」なのでした。

ですから、交通事故に遭うよりも高い確率で犬の糞を踏むパリジェンヌ、パリジャンたちが土足で私の部屋に入ることはご遠慮いただきました。
あちらは寝室にまで土足で入る方々ですから、玄関で目を光らせていないと大変なことになりかねません。
不遜にも、郷に入っても郷に従わず、当時からすでに大人気だったサン=シュルピス通りのMUJIにてスリッパを購入し、履き替えていただいていたのです。

今でこそ、公共機関のスタッフが犬の糞専用のバキュームバイクで巡回し、景観を乱さぬよう注意を払ってくださいますが、本来ならばそのようなことに税金を投入するよりも、各々が自分の責任で始末するべきでしょう。しかし、そこは自己の正当化に余念がないあちらのお国柄か、「私たちが自分たちで犬の糞を掃除してしまったら、彼らの仕事がなくなって、ただでさえ高い失業率がさらに上がってしまうでしょう」とのことでございました。

金曜ドラマ「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」第7話は、本日22:00より放送です。
劇中では描きませんが、私の演じる橘みやびは人生の悲喜こもごもを共にしてきた愛犬ベティの糞をきちんと片付けているはずです。

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MIKIMOTO 「My Pearls, My Style」 Photographer:HIRO KIMURA

LEE 2021年11月号(集英社) Photographer:伊藤彰紀

美ST 2021年11月号(光文社) Photographer:伊藤彰紀

大人のおしゃれ手帖 2021年10月号(宝島社) Photographer:伊藤彰紀

HERS 2021年春号(光文社) Photographer:伊藤彰紀

Photographer:伊藤彰紀

GLOW 2020年1月号(宝島社) Photographer:伊藤彰紀

GLOW 2020年1月号(宝島社) Photographer:伊藤彰紀

GLOW 2020年1月号(宝島社) Photographer:伊藤彰紀

Photographer:浅井佳代子

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ミセス 2021年4月号(文化出版局) Photographer:浅井佳代子

Precious 2021年9月号(小学館) Photographer:伊藤彰紀

ESSE 2021年10月号(扶桑社) Photographer:浅井佳代子

ESSE 2021年10月号(扶桑社) Photographer:浅井佳代子